私は、医療系の小説やドラマが大好きです。
看護師によっては、「こんなことあり得ない」とストーリーに対してツッコミばかり入れたくなる人もいると思いますが、私はそれでも心に残る名言や感動のシーンがあるので、やっぱり好きなんです。
また、職場ではまだ出会ったことのない病気をドラマで見て、気になって勉強して、その後職場でたまたまその病気の患者さんに出会うこともあり、勉強していて良かった~と思うこともあります。
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好きな小説
私が特に好きな小説は、
・さだまさしさんの「風に立つライオン」
・夏川草介さんの「神様のカルテ」シリーズ
・中山裕次郎さんの「泣くな研修医」シリーズ
・二宮敦人さんの「最後の医者は桜を見上げて君を思う」シリーズ
です。
言葉に助けられた日々
私の好きな言葉
この中で、今回は神様のカルテに出てくる好きな言葉を紹介します。
『良心に恥じぬことだけが、我々の唯一の報酬である』
私の解釈は、この本の中で出てくるものとは異なるのは承知していますが、私はつらかった新人~2年目の時期、この言葉に支えられていました。
若手時代
慣れない仕事に時間がかかり、次々出てくる「やること」に追われている中、ナースコールは若手が対応するのが原則なのでやることが中断されまくり(これは理不尽なことはではなく、先輩は先輩にしかできない仕事をしているから、誰でもできるナースコール対応は若手がするのです)、必ずやらないといけない点滴や内服薬の管理、患者さんの安全確保を最優先として、とにかく必死でした。
時間内に仕事が終わることはほとんどなく、遅いのは自分の力量不足だからと毎日数時間残業をしていましたが残業代の申請はせず、その日の振り返りと翌日の予習で、毎日夜中の3時過ぎまで病院で過ごし、7時前には出勤する日々でした。
うまくいかないことだらけで、泣かない日の方が少なかったです。
忙しい時に手を抜きたくなった時
そして、新人時代の私は仕事中、忙しいときに「少しだけ、手を抜いてしまおうか」と頭をよぎることが時々あったのです。
例えば、
・患者さんのオムツが少し汚れているけど、今すぐ交換しなくても、次の勤務者に交代する前に綺麗にしておけば良いかな(しかも手元に新品のオムツがなくなっており、倉庫へ取りに行かないといけないときなど)
・患者さんの私物のコップが、お茶を飲んだきり洗っていないままになっているけど、患者さんは見ないだろうし、忙しいから気づかなかったことにしようかな
・寝たきりの患者さんのパジャマの裾がぐちゃぐちゃになっているけど、体格の良い患者さんだから、整えるにはもう一人手伝ってくれる人がいないと難しい・・・今日一緒に働いている先輩は怖いから、手伝ってくださいって言いにくいし、放っておこうかな
・自分で顔を洗えない患者さん、目やにがついていたり、唇が乾燥していたり、少し気になるけど、昼間の体拭きや更衣をするタイミングでケアすれば良いよね
・もっと新しくてキャスターの滑りの良い点滴棒の空きがたぶんあるけど、倉庫に取りに行くのが手間だから、この患者さんには古い点滴棒を使っておいてもらおう
など、患者さんの命には関わらない部分で、あまりに忙しいと手を抜きたくなるときがあったのです。
ふと言葉を思い出す
しかし、「見なかったことにしよう」と病室から出ようとすると、
『良心に恥じぬことだけが、我々の唯一の報酬である』という言葉が脳裏をよぎりました。
こんなに失敗だらけで、先輩に怒られてばかりで、全然患者さんの役に立てていない私が、自分にできる患者さんへの小さな親切をやらないのは、良心に恥じることではないか。
今気づいたこの仕事をやらなかったら、私は看護師という仕事において、自信になる部分が何もないのではないか。
と考えました。
そして、少しだけ気が重い、オムツを倉庫へ取りに行き交換すること、患者さんのコップを食器用洗剤できちんと洗うこと、苦手な先輩に声をかけ手伝ってもらうこと、温かいおしぼりを用意し患者さんの顔を拭きリップクリームを塗ること、もっと良い点滴棒が空いたので交換しましょうかと提案すること、をフットワーク軽くやることができました。
新人時代の私にとって『唯一の報酬』
そして、ダメダメな私だけど「良心に恥じることはしていない」と自信を持てることが、新人時代の私にとって『唯一の報酬』でした。
経験年数を重ねてからも、ふと「まあいっか」とさぼってしまいそうなとき、良心に恥じていないか?と自分に問いかけています。